城下町として栄えた長野県高遠
日本の中部、長野県伊那市に「高遠」という場所がある。
もともとは上伊那郡に属しており江戸時代には高遠藩の城下町として栄え、多くの学者を輩出した藩校を抱えて教育県長野の基礎を創っただけでなく、「天下第一の桜」と名高いタカトオコヒガンザクラ、日本全国に出向き作品を残した「高遠石工」の石造物なども有名なエリアだ。
が、自分のような食い意地の張った者には、何と言っても「高遠そば」でその名を轟かせていると言っても過言ではないだろう。
会津から里帰りした信州そばの原型、高遠そば
高遠そばは、奇特(非常に珍しく不思議)な歴史をたどって今日に至っている。
ウィキペディアや伊那市のホームページによれば、江戸幕府2代将軍徳川秀忠の子として慶長16年(1611年)に生まれた幸松(幼名)は、母が正室でも側室でもない下級女中であったため信濃高遠藩主保科正光の養子となり保科正之の名を受けた。
同藩の藩主となった保科正之は、その後出羽国最上藩20万石大名として転封、さらに会津藩23万石の藩主として会津の地に移ったが、徳川将軍家に寒ざらし蕎麦を献上する慣例があったほどの蕎麦の名産地と知られた高遠から移り住む際、家来や家臣と一緒に蕎麦職人も連れて行ったらしい。
その職人によって会津地方に伝えられた「高遠そば」は、その名を残したまま現在に至るまで当地で食べ続けられている。
一方、高遠地域では一般家庭でそば打ち、そば食の習慣は細々と受け継がれていたもののそれを商売とする人はおらず、長年そば屋はほとんど存在しなかったという。
そして、1997年(平成9年)に長野県高遠町の人々が姉妹都市の会津若松市を訪れると「高遠そば」の名前で名物としてたくさんのそば店があることを発見、翌年には「高遠そばの会」を結成して地域活性化事業としての取り組みを開始した。
そして、元々名産地として名高かった高遠のそばはまたたく間に人々の人気を集め、現在は街の重要な観光資源のひとつになっているようだ。
街のはずれにある名店「高遠そば ますや」
高遠自体は車で走ればあっという間に通り過ぎてしまうようなこじんまりとした街だが、そばを食べさせる店は10軒ほどあるだろうか。
その中でも特においしいと評判なのが、今回紹介する「高遠そば ますや」だ。
「高遠そば ますや」は、街の東のはずれの山あいにポツンと立っている。
伊那市方面から国道361号線で来た場合は高遠の街の中心部を抜けて突き当ったら左折、国道152号線に入り1kmほど行った左手になる。
国道沿いに大きな看板などは出ていないが、右手にループ橋が見えて登坂を300~400m進むと白い壁の小さな建物があり、木製の看板が出ている。
自動車は、店の前や周囲の砂利道に止めることができる。
店の入口には美しい花が飾られ、「高遠そば」と大きく書かれた色鮮やかなのれんがかかっている。
入口の周りには順番待ちの客用のイスが並べられており、人気の高さをうかがわせる。
店内はそれほど広くはないが、山小屋風の造りで席と席の間も広く取られており落ち着く感じだ。
野趣さえ感じるそばは何もつけなくても食べられる
「高遠そば ますや」のメニューはざるそばしかない。
店のサイトによれば、そばは殻付きのままひいた「玄」、殻をむいて粗びきにした十割そばの「抜き」、甘皮を2割5分加えた十割そばの「田舎」の3種類を用意しており、その組み合わせと複数選択可能なつゆでオーダーを構成するようになっている。
高遠そばは、会津地方に残っていた食べ方を受け継いでいるのが一番の特徴だ。
それは、サバぶしで出汁を取ったつゆに辛味大根の搾り汁を加え焼き味噌を溶き、きざんだネギを入れて食べるという方法だ。
店には江戸風のかつおだしつゆや自家焼干しイワナのつゆもあるが、ここではぜひこの高遠式の食べ方にトライしたい。
また、そばもせっかくなら3種類を試したい(=大盛りと同じになる)ので「高遠三昧」という名前のついたものをオーダーした。
まずは、高遠式のつゆが運ばれてきた。
これを小さなすり鉢のような入れ物で溶いて、そばの到着を待つ。
そばはこちらの食べるスピードを見つつ茹でたてを出してくださるというきめの細かい心遣いで、どんなそばがいただけるのかと楽しみにしていたところ、店員さんがやって来て「1種類のそばの残りが1人前分に足りなくなってしまいました。申し訳ありませんが、量が少なくなってしまいます。お代はざる2枚分で結構ですのでそれでもよろしければぜひ召し上がってください」と言う。
大人気のお店で、平日でもかなり混みあうと聞いていたのでお昼前には店に入ったにもかかわらずそれでもすでに満席でビックリしたのだが、すべてのそばが自家製粉の手打ちなのでこういうこともあるのだろう。
こちらがかえって恐縮してしまうような感じで、ありがたく申し出をお受けすることにした。
出て来たのは、こちらの3種。
まずは「玄」そば
少し硬めだがのど越しはつるりとしており、かむとほのかに甘みが感じられる。
3種の中では、一番日本の正統派のそばという印象を受けた。
次に出て来たのは「抜き」そば
一番色が白く、粗びきなのでそばの実の白いつぶつぶが眼で見てもはっきりわかるくらい。
なので「少しザラザラするかな」と思いながら口に入れると、思いのほかほとんどそのような感覚はない。
歯でかむと弾力がけっこうあり、そばの実の風味がダイレクトに口の中に広がる。
最後は1人前分を用意できなかった「田舎」そば
色からしてもわかる通り、「これぞそば!」という風味がダイレクトに伝わって来て実に味わい深い。
おそらく切れ端だろう、そばの切り身のようなものが添えられていたのだが、かたまりで食べるとより一層それが感じられる。
写真でわかる通りこれには塩が一緒に出されるが、味噌や辛味大根を入れてしまったつゆにつけて複雑な味になるより、塩だけを少量つけて食べたほうが間違いなくおいしかった。
余談だが、デザートで黒蜜のかかったそば羊羹もついていた。
行くなら平日でも開店直後にすべし!
自分は決してそばマニアではないのでそんなに偉そうに語ることはできないのだが、日本のほかの地方で食べるものよりもよりワイルドで、そばの風味をダイレクトに楽しむことができた。
高遠そばの特徴は、前述の通りつゆに辛味大根の搾り汁に焼き味噌を溶ききざんだネギを入れて食べるところにあるのだが、個人的にはこれだけの野趣あふれるそばならかえってシンプルなつゆをほんの少しだけつける、あるいは田舎そばのように塩をつけるだけくらいにしたほうがじっくり味わうことができるかもしれない。
そういう意味では、次に訪れる時には江戸風のかつおだしつゆをつけるメニューをぜひ試してみたいと思った。
自分は平日の12時より前に入店したのだが、それでもそばが一部売り切れてしまうくらいの人気店なので、行くのであれば11時の開店に合わせて店に行くほうがいいかもしれない。
東京から車を飛ばしておそらく3時間以上はかかると思うが、それだけしても食べる価値のあるそばだ。
高遠の街には鉄道は通っていません。行くならレンタカーで!
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