目黒不動尊の愛称で親しまれる名刹
東京23区南西部にある目黒区は、オフィスや商業系の高層ビルが集積する近代的なエリアと商店街がある住宅が密集する少し下町的なものを感じさせるエリアが混在した、ある意味東京らしい風景を見ることができる区だ。
今回紹介する目黒不動尊は、ビルが立ち並ぶ目黒駅から徒歩20分ほど、下町的な雰囲気の不動前駅からだと歩いて15分ほどと東京の双方の魅力を感じながらアクセスできる都内屈指の名刹だ。
自分のような東京生まれ東京育ちの者であれば、「目黒不動尊」もしくは「目黒不動」と言えばたいていすぐにわかるし、一度はお参りに行ったことがあるであろうくらい親しみのある寺院でもある。
平安時代創建で病気平癒に霊験あらたか
目黒不動尊は正式名を泰叡山瀧泉寺といい、平安時代初期の大同三年(808年)に天台座主第三祖慈覚大師圓仁によって創建された。
関東最古の不動霊場で、熊本の木原不動尊、千葉の成田不動尊とともに日本三大不動のひとつとされている。
ご本尊は圓仁大師自らが彫ったとされる不動明王像。
天安2年(858年)に圓仁大師が堂宇(仏堂や護摩堂などの四方に張り出した屋根をもつ寺院内の建物の総称)を建立しようと、場所を定めるために仏具の獨鈷(煩悩を打ち破るために修行で用いる密教の法具)を放ったところ落ちた場所に泉が湧き出て、干ばつになっても涸れることがなく、また滝の水を浴びると病気が治るとの信仰が広まったことから「獨鈷の滝」と呼ばれ病気平癒に霊験あらたかとして多くの参拝者を集めるようになったという。
特に江戸時代は庶民の日帰り行楽地として大いに栄え、寺院の前には門前市が広がり当地で収穫したタケノコや目黒飴などが人気のお土産物だったらしい。
有名な落語噺「目黒のさんま」に登場する、殿様がサンマを食べた場所は寺院の北1kmほどの目黒川をはさんだ対岸にある茶屋坂の「爺々が茶屋」と呼ばれる店だったと言われている(諸説あり)。
明治以降は、西郷隆盛が主君島津斉彬公の病気平癒のために日々参拝したり、東郷平八郎(元帥)が日本海海戦の勝利を祈願してしばしば訪れるなど、著名人から篤い信仰が寄せられた。
建造物は再建された近代的なものが多い
目黒不動尊の伽藍は非常に広く、またところどころに勾配があって木々が多く茂っており、ここが目黒駅から徒歩でアクセスできる場所とはにわかに信じられないくらいの雰囲気だ。
平日でも参拝客がかなり多く、寺院の外の参道には屋台が並び商店街も多くの人でにぎわっている。
建造物の多くは近年になって再建されたコンクリート造りのもので、古刹としての風情には欠ける。
仁王門
参道を歩いて来るとまず迎えてくれるのは、朱塗りの大変立派な仁王門(楼門)だ。
昭和37年(1962年)に再建された鉄筋コンクリート造りとのこと。
獨鈷の滝と水かけ不動明王
仁王門をくぐってまっすぐ進むと石段に行きあたるが、その手前左側にあるのが獨鈷の滝だ。
上記の通り、かつてはこの水に打たれると病気が治るとされていたのだが、現在は直接水垢離をすることはできなくなっている。
そのかわりに「水かけ不動明王」という石仏が建てられており、参拝客の身がわりとなって水に打たれてくれるとのことで、多くの人が手を合わせている。
垢離堂と前不動堂
獨鈷の滝の奥には小さな堂が2つ並んでいる。
木製の素朴な感じのものが垢離堂、朱塗りの派手な色使いのものが前不動堂だ。
前者は説明書きがなく詳細はわからないが、青竜大権現をご本尊としているらしい。
垢離堂という名前から獨鈷の滝での水垢離の際にお参りした堂なのかもしれない。
前不動堂は江戸時代中期の建築で、伽藍の中に建つ堂としては古いものだ。
ただし、塗り替えられているのであまりそれは感じられないが。
男坂
仁王門をくぐってまっすぐのところにそびえる、本堂へと向かう急な石段がある。
これは男坂と呼ばれており、本堂にたどり着くためには必ず登らなければならない。
なお、向かって右手には途中に踊り場のある女坂がある。
途中で休める踊り場があるので足の悪い方などには女坂のほうがいいかもしれないが、まっすぐ本堂に登っていける男坂の方がご利益がある気が個人的にはするので、往路は男坂、帰路は女坂を使うのをおすすめしたい。
鐘楼堂
男坂の石段を登りきると正面にさらに石段があり本堂はさらにその先にあるのだが、一気に進まずに右に行った突きあたりにある鐘楼堂を訪れてみよう。
鐘楼堂は江戸時代中期の民衆的寺社建築の傑作といわれており、国宝指定を申請中だった1951年(昭和26年)に焼失してしまった。
現存するのはその後再建されたものだが、もし建立当時のものが残っていたらどんな風だったのだろう、と思わざるを得ない。
本堂
男坂を登り切ったところからさらに石段を登ったところにあるのが本堂だ。
かなり大きな本堂は昭和56年(1981年)に再建された鉄筋コンクリート造りで、傾斜地に建っているため本堂に続く石段に登らず横から見るといくつもの大きな柱に支えられていることが分かる。
ご本尊はこの寺院を創建した天台座主第三祖慈覚大師圓仁によって彫られたとされる不動明王像で、秘仏とされている。
そのため、12年に一度酉年の開帳の時以外に直接拝むことはできない。
大日如来坐像
本堂の裏手に、人がひっきりなしに訪れて手を合わせる仏像がある。
天和3年(1683年)に鋳物師横山半右衛門尉正重によって鋳造されたとされる大日如来坐像で、もともとは本堂の中に安置されていたらしい。
設置されている説明書きによれば、宝髪、頭部、体駆、両腕、膝など十数か所に分けて鋳造されそれを組み立てた吹きよせの技法で造られており、総高385cm、座高281.5cm、頭長121cmとのことだ。
特定の有力者によるものではなく、数多くの人々の寄進によって造られたものだそうで、当時この寺院がいかに人々から親しまれていたかがうかがえる。
行者倚像堂
女坂の途中にある傾斜をくりぬいて作られた小さな堂。
内部には、寛政8年(1796)年に神田の鋳工太田駿河守藤原正義によって造られたとされる修験道の祖である神変大菩薩像が安置されている。
お参りの後は商店街で食事休憩をするもよし
目黒不動尊の多くの建造物は戦災などで焼失し後年再建されたものなので、歴史を感じさせるような風情は残念ながらない。
だが、お参りに訪れる人の数はいつ行っても非常に多く、今も人々の生活の中に息づく寺院であるというようなこともできると思う。
そういう意味では、いにしえの寺院の様子に思いを馳せながら伽藍を観てまわるというよりは、ご利益を求めて参拝に訪れる場所という意味合いの方が大きい。
建物は新しいが、人々が参拝にたくさん訪れている、ということで言えば、都内なら足立区の西新井大師に近いものがあるかも。
寺院から不動前駅へと続く参道には、お参りの人を当てこんだ商店や飲食店が立ち並んでいる。
お参りを終えたら、商店街で買い物をしたりお茶休憩や食事をとったりして、ここが江戸時代の庶民の日帰り行楽スポットであった時のように、のんびりと半日つぶすのがおすすめの過ごし方かもしれない。
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