717年創建の南房総を代表する名刹
房総半島の南端近く、館山市の北にあたる鏡ケ浦に面した那古山の中腹に建つ「補陀洛山 那古寺(ふだらくさん なごじ)」。
養老元年(717年)に行基が海の中から手に入れた香木で千手観音を彫り、堂を建てて祀ったのが起源(建立)と伝えられる歴史ある名刹だ。
建立以来、源頼朝をはじめ足利尊氏、里見義実、歴代徳川家など武家の信仰を集め栄えたという。
南房総というとドライブがてら海水浴や海の幸を味わうために行く、という人が多いかと思うが、このような雰囲気のある寺院や神社も多く、中でもこの那古寺は境内もよく整備されて広々としており、駐車場もあるのでぜひ立ち寄ってほしいスポットだ。
TEL:0470-27-2444
WEBSITE:https://www.nagoji.com/
山裾に細長く広がる境内、一番の見どころは多宝塔
県道302号線(内房なぎさライン)に面した広々とした駐車場に車を止めたら、コンクリート敷きのスロープを登って行こう。
なお、徒歩でアクセスした人は県道の少し東京寄りの道が大きくカーブしたところにある石段を登れば直接仁王門の前に行くことができる。
金剛力士像のある仁王門
スロープを登ってくると、一番最初に見えるのが仁王門だ。
現存するのは昭和36年に建築されたものだが、史料には永正8年(1511年)年に修理再建された記録があるそうだ。
門の両脇には金剛力士像が安置されている。
参道に入ってすぐ右手にある阿弥陀堂
仁王門をくぐって境内に入ると、ずっと先まで参道が続いている。
まず最初、左手には鐘楼が建っているが、こちらは昭和51年と非常に新しく造られたものだという。
その斜め向かい、右手にあるのは阿弥陀堂だ。
内部は見ることができないが、本尊の阿弥陀如来像は鎌倉時代初期の作で高さは140.3cmで、元亨4年(1324年)と明和4年(1767年)に修理を行った記録が残っているとのことだ。
那古寺の象徴的建造物、1761年再建の多宝塔
阿弥陀堂の並びに建つ、特徴的な外観をしているのがこの寺院の象徴と言ってもいい多宝塔だ。
元禄16年(1703年)に発生した元禄地震の後で地元の伊勢屋甚右衛門が願主となり、宝暦11年(1761年)に地元の大工によって再建された三間多重塔で、下は方形、上が円形となっている。
内部中央にある宝塔の中に多宝如来と釈迦如来が安置されているほか、慶長14年(1609年)に作られた釈迦如来像も安置されている。
千葉県内の多宝塔は、ここ以外には南房総市の石堂寺多宝堂しかなく非常に珍しいものだ。
那古寺の中心となる観音堂は江戸時代中期再建
多宝塔の先にド~ンと控えるのが、那古寺の中心となる観音堂だ。
江戸時代中期の享保17年(1732年)に再建されたもので、堂の中心にある宮殿に不動明王像と地蔵菩薩像を従えた本尊の千手観音像が祀られている。
このあたりから来し方を振り返ると、左手には那古山の木の生えた山腹、正面左には多宝塔、その先は仁王門へと続く参道が美しく見ることができる。
また、ちょうどこのあたりから天気がよければ境内から鏡ケ浦が一望できる。
最奥部の崖にへばりつくように造られた大黒堂など
観音堂の並び、奥の崖にへばりつくようにいくつかの小さな堂が建っている。
一番手前は大黒堂だが、これは昭和15年建立の新しいものだ。
その上の崖に彫り込んで造ってあるのが岩船地蔵と竜王堂。
左の竜王堂に祀られている竜王は水に縁があることから転じて海運の守り神として信仰されており、船を新造した時の安全祈願などで地元の漁師がお参りするという。
堂の脇には安政3年(1856年)に那古の漁師が石巻の漁師とともに廻船の海上安全を願って奉納した仙台石の八大龍王碑が建っている。
右の岩船地蔵には舟型石に乗った地蔵菩薩が安置されており、小さな石製の舟がおよそ50個奉納されている。
名前の通り、竜王堂と同じくこちらも漁師からの信仰が篤い。
富浦インターから車で5分ほどなのでぜひ寄り道を
自分のように東京から来て南房総にドライブする場合、普通は富津館山道路を終点の冨浦インターチェンジで降り館山バイパスを一気に南下してしまうと思うが、2kmほど走って那古の交差点を右折すればインターチェンジから5~6分で行くことができるので、立ち寄るために余計に車を走らせる必要もない。
海の近くでありながら山の中腹という房総独特の地形のなかに建ち、雰囲気もある寺院なのでおすすめのスポットだ。
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