人が多い奈良の観光スポットの中で静かな雰囲気を保つならまち
奈良は隣接する京都と並んで数えきれないほどの観光スポットがある町だ。
世界遺産であったり、国宝や重要文化財の建築物や仏像などを有する東大寺や法隆寺、春日大社などのメジャーな見どころを巡っているだけでもすぐに2~3日は過ぎてしまう。
が、世界的にも有名であるため、いつ行っても大勢の観光客であふれかえって落ち着かず、ハッキリ言って興ざめしてしまうような雰囲気があるのもまた事実だろう。
自分は、今住んでいるチェンマイ(タイ)でも、あるいはアジア各国に旅に出た時でも人の多いのが苦手で、そういう場所はどんなに名の知れたところであっても避ける傾向にあるのだが、そんな人におすすめな奈良の見どころが「ならまち」だ。
元興寺旧境内周辺の歴史ある古い町屋が昔ながらのたたずまいの中に残っており、人通りも多くなく静かで落ち着いた空気感を楽しみながら散策ができる。
近鉄奈良駅から徒歩10分
ならまちは、近鉄奈良駅から南に徒歩10分、JR奈良駅からなら東に徒歩15分ほどのところにある。
住所で言うと奈良市西新屋町、中新屋町、芝新屋町一帯がならまちとなる。
下のマップは、まらまちのほぼ中心にある資料館をプロットしている。
元興寺の旧境内を中心とする一帯を細い路地が行きかう
ならまちは元興寺の南側のせいぜい400~500m四方に囲まれたエリアなので、チャチャッと見たらあっという間に終わってしまう。
そのため、ひとつひとつの家をじっくり観察したり、ところどころにあるカフェや店に立ち寄ったりしながら路地をウロウロするのがおすすめだ。
ならまちは、もともとは元興寺の境内だった場所にできたので、当然寺院とのかかわりに深いものがある。
元興寺のサイトによれば、ならまちを構成する西新屋町の南西はずれには寺院の小塔院が、芝新屋町の南端には塔があったとされているほか、今は町屋が建っている下には大伽藍もあったらしい。
宝徳3年(1451年)10月に徳政令を求めて宝徳の土一揆が起き、人々が元興寺周辺になだれ込み民家に放火したところ折悪く強風が吹き金堂や小塔院が全焼したが、かろうじて寺院の伽藍は維持されていたという。
今日のならまちの礎が築かれたのはそれから下ること100年以上の戦国時代末期の天正年間(1573~92年)ごろと考えられており、1600年代初めに残っていた元興寺の遺構をすべて埋めてしまったことで急速に町としての発展が進んだらしい。
そのため、現在見ることのできるならまちの町屋は江戸時代、それも末期から明治時代に建てられたものでそれほど古くはない。
ただ、その分保存状態は非常によく(メンテナンスも行き届いた建物が多い)街歩きにはむしろ向いているかもしれない。
町屋の前に吊り下げられた身代わり申
町屋を歩いていると、家の門前や軒先に赤白の球形のものがぶら下げられているのが目につく。
これは「身代わり申」というもので「庚申さん」のお使いの申をかたどっており、家内安全、無病息災、病気平癒、良縁恵援、安産祈願、商売繁盛、交通安全などの願いが成就されるとされている、いわば家とそこに住む家族のお守りのようなものだ。
ならまち資料館で購入することもできるので、おみやげにしてもいいだろう。
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